ブログ週一更新を一年間続けてみた
発端
今から一年ほど前、友人達とのslackの会話の中でこんなことを言ってしまったがために、ブログの更新を1年間続けることになってしまった。
そうすることにした理由はよく覚えていないが、多分自分の写真を沢山の人に見てもらいたいとか、要は承認欲求を満たすためだと思う。
ブログを続けたことで結局その目的が達成されたかというとNOである。 クソ真面目に記事を更新してもPVはほとんど上がらなかった(上がるには上がったけど)。
しかしやり続けてわかったこともあるので、今回はそれを書いていく。
ちなみにブログ更新以外の目標も2つ書いているけどこいつらはどこかに消えた。 たぶん承認欲求を満たすということならブログ以外の目標のほうが良かっただろうと思う。
自分は弱い人間だ。 この3つの中で「ブログ更新」が最後まで残ったのは、この中でブログ更新が最も自分にとて「やりやすい」方法だったからだろう。だってPCかスマホがあればどこでも書けるもの。
ブログは続かない。
とはいえ、ブログ経験者なら誰もが経験したことがあるだろう以下の問題に直面する。そう、
「ブログが続かない」
ということだ。
自分にも経験があるからこそ言える。今まで何度ブログのようなものを始め、更新が続かずに頓挫してきたところだろうか。 周りにも似たような人が沢山いるのを見てきた。
一方で自分自身続けることは得意だという自覚がある。一度始めた部活や仕事は途中で辞めたり投げ出したりすることがなかったし、それなりに達成感があった。
では何故ブログは駄目だったのだろうか?
少なくとも自分にはその理由が2つあった。
ブログが続かない理由①: ブログはいつでもやめることができる
それを考える前に、続けることができたものについて考察してみた。
続けられたものはそもそも「続けられた」のではない。「辞められなかった」のだ。
部活にしても仕事にしても、途中で辞めると自分がそれまでやっていたことを誰かに引き継ぎ、責任を負わせなければならない。
そうすることで、少なからずチームの誰かを不幸にすることだってある。
自分は昔から「人にどう思われているか気になる」性格だったので、何かをやめるによって「人に迷惑をかけるやつだ」というレッテルを貼られたくなかったのだ。
だから、誰かと協調して何かをしなくてはならない状況では、自分は「辞めること」ができない性格だ。
合理的な考え方をする人からすると、僕のこの性格は実に非合理的に見えることだろう。
そもそも、やりたくないことをやっている時点で効率は上がらないのでアウトプットもたいしたものはできないので、成果をあげることができない。
結果そちらの方が他人に迷惑をかけてしまう。
何よりもやりたくないことをやり続けるのは精神的な負荷が高い。
さて、話を戻そう。
では何故ブログは簡単にやめることができたのだろうか?
それは責任が個人の範囲に及び、やめたところで誰にも何とも思われないからだ。
いつ始めてもいいし、いつ辞めてもいい。誰にも何も迷惑もかからない。
それがブログ続かない大きな理由の一つである。
ブログが続かない理由②: ブログを更新するのは時間がかかる
自分は完璧主義に近い人間だ。
一度何かについて書くと決めたら、それに対し自分が納得まで調べた上で書かないと気が済まないタイプ。
なので一つ一つの記事を書くのに凄まじい時間がかかってしまう。出すものを完璧にすることに余念がないと言っていいだろう。
しかし、こういった完璧主義の悪いところは皆さんのよくわかるとおりである。
そもそも長い文章は読み手の気力を削ぐ。 ブログはただでさえ自己満足であるわけだから、それをちゃんと読んでもらうこと自体が稀である。 承認欲求を目的に置くならば、長すぎず、簡潔で、わかりやすい文章を書くべきなのである。
そして完璧主義のもう一つの難点は、時間がかかることによって期日までに完成しないということ。 そして無理やりその時間に出したとしても結局できていないのだから全く意味のないものになってしまう。
仕事なら締め切りがある上に一人でやっているわけでもないので、仮に完璧を求めたとしてもどこかで終着する。 だがブログは個人の裁量に任せられるためにいつまでも終わらない状態が続いてしまう。
そうなると、また別の優先度が高いタスクなどが上がってきて、未完成のままフォーカスから外れてしまうのだ。
ブログを続けるためには
じゃあ自分のような人間がブログを続けるにはどうしたらいいのか?
退路を断つ
理由①の解決法は簡単だ。逃げ道を失くせばいい。
今回の目標を達成するために、事あるごとにいろんな人にブログを毎週更新していることを言い、またSlackやTwitterで更新したブログをアップして常に周りの目に晒すようにしてみた。
特にSlackはクローズドなサークルなので、TwitterのようにTLが流れてしまう激しいものと真逆であり更新していなかったらすぐにバレる。
挙句の果てにSlackbotが毎週ブログを書けと攻め立ててくる(これは自分がやったことではない)ので書かざるを得ない。
小分けにして投稿する
完璧主義タイプでいつまでも記事をアップロードできないのであれば、いっそ記事を分割してしまって、短い単位での完璧主義を目指せばいい。
ネタが出る限りいつまでもPart.1, Part2,...と続けていって、満足したらそこで終わればいいのだ。 もし適当に書き終えてしまった記事の内容がきになるのであれば、あとで暇な時に直せばいい。
実際、長すぎると内容もまとまらないし読むのもダルいので読者のことを考えているとも言える。
この一年、この手を何度使ったかわからない。
そうまでしてブログを更新する理由
ここまで読んできて、こう思った人は多いだろう。
「え、そこまでしてブログ更新し続ける必要ある。。?」
実際、始めた時は自分にもそれがわからなかった。でもとりあえず言ってしまったからやらないといけないな…と思って更新をしていたが、いかんせん今のご時世ブログに対するリアクションは皆無、PVもそこまで増えない。
元々承認欲求をベースにしていたところもあるので、心が折れかけていたこともあった。 そんな中、何故続けたのか?
その理由を語ろう。
言語化することで、本当に使える知識や技術になっていく
あるトピック、例えば写真の一技術についていざブログを書こうとすると、意外とスムーズに書き進められないことに気づく。
普段自分が感覚的にやっていることを体系化して誰にでもわかるような言葉に直そうとすると、足りない知識や技術があるということに気づくのだ。
よく、「自分の仕事を家族に説明できますか?」という問いがある。もちろん、聞き手のレベルを設定しないと適切な問いとは言えないが、これは自分の仕事について自分がちゃんと理解しているかという指標になる問いである。
もちろん、いつも仕事をしている同僚相手であれば専門用語やこそあど言葉を使って適当に説明しても理解させることができる。 しかし全くバックボーンの異なる人に説明する場合は、同僚に対するそれとは別の視点から説明しなければいけないことは容易にわかるだろう。
言語化するというのは、まさにそういうことなのだ。
自分の中に経験としてある技術を他者にわかりやすく説明するために体系化して整理し直す。 時には足りない知識も出てくるので、それはそれでまた調べる。
それを実践してブログの記事として言語化し投稿できたとき、それは自分にとって揺るぎない知識・技術として完成するのだ。
それに気づいたとき、自分はアフィリエイトでも承認欲求でもないことのためにブログを続ける意味を知ったのだ。
ブログを続けてよかったこと
会う度に色々な人が質問してくれる
始終ブログへのリアクションは薄かった。じゃあお前はどうなんだと聞かれると、自分も他人のブログにコメントすることは稀なので、仕方ない。
一方で、公開先のSNSで繋がっている友人に会うと感想を言ってくれることがあった。これは素直に嬉しい。 ちゃんと読んでくれているんだなという実感を持つことができた。
写真関連の仕事をもらうことができた
コンスタントにブログに記事を投稿できるということは、アウトプットと継続できる力を持っているということの証明になる。ある意味、面接で口でぐちゃぐちゃ言うよりも正確なアウトプット力の証明になるということだ。
それが功をそうしてか、写真関係の仕事をいくつかもらうことができた。 見てくれる人は少なくて、リアクションも薄いかもしれないが、自分から何かをしようとしたとき、ブログは自分の力になってくれたと思う。
ブログを続けることでしんどかったこと
とにもかくにも時間を吸われる。これに尽きる。
どの記事もちゃんと書こうと決めて取りかかったので、勉強や調査、特に素材として写真を撮りに行く、その現像など含め膨大な時間を要した。 記事一つの投稿に10時間くらいかかった時もあった。
それによって寝不足になったりストレスになることがあった。迷惑をかけた人たちもいる。 今後は特に目標も設けず、自分のできるペースで書きたい記事を書いていきたいと思う。
まずはシリーズ物で完結していないものを完結させ、そのあとで捨ててしまった自分の別の目標を達成するための調査・勉強目的としての記事を書いていきたい。
最後に
ちなみに、この目標は正確にはまだ達成できていない。
なぜなら、このブログを公開すると同時に目標達成となるからだ。
それじゃ、
「覚悟はいいか? オレはできてる」