水野学 著「センスは知識からはじまる」を読んでみた その②
前回は、センスという言葉について僕が抱いていたイメージ(センスとは生まれ持った資質である)と、 それを覆す可能性がある本「センスは知識からはじまる」について少しだけ紹介しました。
今回は本の中身で気になった部分について、写真を撮るという観点でどのような考え方ができるのか? を感想を交えつつ書いていきたいと思います。
センスの定義
本書では、センスは以下のように定義されています。
センスとは、数値化できない事象を最適化すること
「センスのよさ」とは、数値化できない事象の良し悪しを判断し、最適化する能力である
例えばテストはどうでしょうか。絶対的な解答が存在し、回答の正誤によって点数が決まるようなテストであれば数値化はできます(それで学力が決まるかと言うと微妙ですが)。
陸上競技の短距離など絶対的なタイムによって順位が付けられるものも数値化できる。
一方で「ある写真の良さ」は数値化するのが難しいですよね。撮影したからと言って、何らかの得点が出るわけではない。 しかしその写真を観た人が何らかの尺度をもってその写真を「良い」とか「悪い」とか言う。
数値化はできないが、確かに「良し悪し」が存在しているわけです。
そういった数値化できないものの良し悪しを判断できる、というのがセンスの定義のうちの一つということになります。
ではもう一つの「最適化」とは何を指すのでしょうか?
おしゃれもかっこよさもかわいらしさも、数値化できません。 しかしそのシーン、そのときに一緒にいる人、自分の個性に合わせて服装の良し悪しを判断し、最適化することはできます。 それを「かっこいい、センスがいい」と言うのです。
本書ではファッションに例えて解説されていますが、これはつまりこういうことなのではないかと。
「ある環境において、より最適な組み合わせを選択すること」
この「ある環境において」というのが非常に重要なのではないかと思います。
例えばパーティーに同行する相手の男性のスーツのネクタイの色がこれだから、自分のドレスの色はこれにしよう。 自分の体型はこんな感じだから、ドレスの形状としてはこういうのが適している、とか。
「ある環境において」、つまり「周囲の環境と自分の状態を突き合わせて」最適な組み合わせを選ぶことができる能力。
それが「センスがある」ということだと言っていると僕は読み取りました。
これが写真だとどうなるかというと、例えば以下のようになると思います(好みにもよりますが)
のように、被写体や天気、その他様々な条件と自分の機材の状態などから総合的に判断し「適切」な撮影(露出や構図)・現像方法を選択するといういことになると思います。
まず「普通を知ること」が必要
本書では、センスのいい商品を作るためには「普通」という感覚が重要であると述べられています。
普通こそ、「センスのいい/悪い」を測ることができる唯一の道具なのです。
なぜ「普通」が重要なのでしょうか?
普通とは、「いいもの」がわかるということ。 普通とは、「悪いもの」もわかるということ。 その両方を知った上で「一番真ん中」がわかるということ。
つまり、「普通」は「いいもの」と「悪いもの」がわかってないとわからないということ。
そして、「いいもの」と「悪いもの」が判断できて、「普通」がわかるようになっている状態こそ「センスがある」状態であるということに他ならないというわけです。
例えば写真をRAW現像するとき、彩度や露出、ホワイトバランスなどのスライダーを微調整しながら自分の理想の絵に近づけていきますよね。
このスライダーを思いっきり端まで動かすと、そりゃ見れたもんじゃない写真になるわけです。
これが所謂「悪いもの」の例の一つになるでしょうか。 他には、ホワイトバランスの調整で人間の目で見て白いものが緑になってしまったとか、コントラストがなさすぎてのっぺりとした気持ち悪い絵になってしまったとか。
こういった「悪い」例や、一般的に評価されている写真の「良い」例、それらの何が良くて何が悪いのかがわかって初めて中間であるところの「普通」がわかり、そこから適材適所で好きに自分のパラメータを振っていくことで「センスのある」写真を作れるようになる。
ということなのかなと。
「普通」を知っていれば、ありとあらゆるものが作れるということです。
今日はここまで。。今日で終わらせるつもりでしたが意外と長く続きそうですね。
ちなみにここまで全体の進捗20p/183p…
それでこんなに書けるということは、それだけ自分の中でこれまで考えてきたことと本に書いてあることに交わる道があるということなんでしょうね。