Weekendcycler

Cycling, taking photographs, and drinking a cup of coffee on the weekend

京都に写真を撮りにった part3 (2日目)

2日目最初の目的地は源光庵。
源光庵には「悟りの窓」「迷いの窓」という丸窓と角窓がある。
某M氏ブログに掲載されていたその写真の静謐な雰囲気に惹かれ、京都に来たら是非とも行ってみたいと思っていた。

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源光庵までは電車とバスを乗り継いでいくことが出来る。
今回の旅行にしては珍しくバスでぎりぎりのところまで行けるスポットだ。

なんとなく今日はスムーズに行けそう…そう思ってバスに乗っていたが、
到着時間を過ぎても目的の鷹峯源光庵前に到着しない。
そして車内に流れるアナウンス「次は終点○○です」


は?


アナウンスからここが鷹峯源光庵前でないことは確かだが、終点なので降りるしかない。
そして地図を確認すると…や…やっちまった…乗るバスを完全に間違えた\(^o^)/
同じバス停から出るバスの行き先が全て同じとは限らない…


方向は間違っていないが目的地より5kmほど離れた場所に来てしまっていた。
とりあえず歩き始めたものの、5kmというと歩いて1時間はかかる。


1時間のロスは大きいので、ここはタクシーを使っていくことに決めた。
そんなことを考えているとタイミングよくタクシーが目の前を通ったので、思わず手を上げる。
行き先を告げると、カメラを持っていることに気付いたドライバーのおじさんに「お客さん、写真ですか?」と尋ねられる。
「ええ、そうなんですよ~」と答えて、雑談開始。


小耳には挟んでいたが、源光庵は紅葉で有名なお寺。
前述した「悟りの窓」と「迷いの窓」が切り取る紅葉シーズンの庭園がなんとも美しく、
ハイシーズンはそれを撮りたくてしょうがないカメラマンで賑わうそうだ。
ちょうど今の時期(年末)は紅葉もずっかり散ってしまい、庭園の木々も枝だけになってしまうため訪れる人の数も少ない。


うん、まぁ…そうだろうな…なんとなくわかってはいたが…
ていうか行く前からそんなことを聞いてしまうとなんとも萎えてくるが…
ここはハイシーズンに備えて撮り方を模索するのにうってつけだというプラス思考で行くっきゃ無い!



10分くらい揺られていると源光庵に到着した。
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石で出来た道を進んでいく。ふと、道にはめられた石の大きさが全て同じくらいなことに気付く。
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切り出したとしたら切断面は綺麗になるはずだから、同じ大きさの石を探してきている?それとも長い年月をかけて削れていったのか…それは考えにくいな。

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丸窓が「悟りの窓」、角窓が「迷いの窓」。

悟りの窓は円型に「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現する。迷いの窓は角型に「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表している。

とのこと。

って、何のことを言っているのかさっぱりわからないが、
そもそも円通とは、

《「周円融通」の略》仏語。智慧によって悟られた絶対の真理は、あまねくゆきわたり、その作用は自在であること。また、真理を悟る智慧の実践。

早い話がオールマイティ(適当)だ。
なぜ「円」なのか?と考えると、自在だとか宇宙なんてものを角型で表現しようとすると、どうも何かが制限されているような印象を受けるし、
「あまねくゆきわたる」とも思えない。
ならば、確かに円が相応しいというのはわからないでもない。


そして「悟り」と「迷い」はある意味対比のように思える。
「悟り」がなければ「迷い」があり、逆に「悟り」あるとき「迷い」はない。
人の心理状態は日々「悟り」と「迷い」を行ったり来たりしているのではないだろうか。
そうであれば、敢えて窓を2つ設けた理由もなんとなくわかるような…その日の気分で座る位置を決めるとか。
当時の人々はこの窓から外を見て何を考えていたのだろう。


源光庵を出た後は近くの光悦寺で入口だけ撮影。
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秋は両脇の木々が赤く染まってそれはもう美しいそうだ。またそのうち来よう。


次は大徳寺に向かった。
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大徳寺と言っても、正確には大徳寺の境内にあるいくつかの小寺に興味があった。
地図を見てもわかるように、境内に多くの小寺を内包している。
このような本寺の境内にある小寺のことを塔頭(たっちゅう)というらしい。読めんわ。「とうとう」じゃないんかい。


まずは塔頭のひとつである龍源院へ。ここの見どころは枯山水庭園。
以前のエントリでも説明したが、枯山水は水を使わずに山水の風景を表現した庭園のこと。


これは龍源院の縁側に囲まれるような形で佇む”東滴壺”という作品。
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敷き詰められた白砂の上に5つの石(手前に3つ、奥に2つ)が置かれている。
枯山水によくある敷き詰められた石は、多くの場合”水面”を意味するらしい。
となると、置かれた石たちは水面、もっと言うと大海に浮かぶ島々にも見える。
そう考えると、高々2,3畳の広さのこの東滴壺がとても壮大なものに見えてくる。
なんとも不思議なものである。箱庭に宇宙とはこのことか。


こちらの広々としたな枯山水庭園は一枝坦と言う。
手前の苔に刺さった岩が亀島、奥真ん中の岩が蓬莱、右奥の岩が鶴島を、敷き詰められた砂はやはり大海を表している。
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このセット(蓬莱+亀島+鶴島)は、日本庭園ではよく見かけるものだそうだ。
蓬莱は不老不死の仙人が住む山と言われ、亀島と鶴島は長寿の象徴である亀と鶴を象った島。
この3つを並べておくことは縁起がいい、ということらしい。


お次はこれまでとは打って変わって、苔が一面敷き詰められた龍吟庭。
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そのダイナミックさに惹かれてか、多くの観光客の目を引いていた。
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これまで紹介してきた庭園では敷き詰められた石が大海を表していたように、この龍吟庭では苔がその役割を担っている。
そして中央の高い岩は須弥山(しゅみせん)という山を表す。

古代インドの世界観の中で中心にそびえる聖なる山であり、この世界軸としての聖山はバラモン教仏教ジャイナ教ヒンドゥー教にも共有されている。(Wikipediaより)

先ほどの蓬莱山もそうだったが、どちらの庭園もメインのモチーフとなっている山は「仙人が住む」「聖なる山」といった人智を超えた自然物である。
そういったある種神秘的で想像のつかないものを表現することに枯山水はとてもよく合っているのではないかと。
水が存在せず、岩や砂、木や苔のみで表現された風景はシンプルながら自然そのものが持つ確かな存在感を放ち、そしてシンプルだからこそ見る人はそこに様々な想像を上乗せ出来る。
あるいは作者としては、俺が表現したいものは想像上のものだから、これ観て自由に想像してくれ…みたいな想像の余地を残したものなのかも?(もちろんそれだけじゃなく、作者自身が描く蓬莱山や須弥山もあるんだろうけど)
ともかく、色々な想像が出来て面白い。


次は同じく大徳寺の塔頭である高桐院に訪れた。大徳寺の塔頭巡りは高桐院でラスト。
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こちらが門を潜ったすぐ先にある苔の参道。
初夏は新緑に包まれる緑の回廊に、秋は紅葉が落ちて真っ赤に染まるそうだ。
しかし時期が12月末という中途半端な時期のため、道の両脇の植えられた木の葉は全てなくなっておりちょいと物足りない。
今回の旅行はこんなんばっかだな…とはいえ、観光客が少なくゆっくり出来るのも事実。


廊下と中庭。
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本堂脇から庭園へ降りると、苔生した墓碑や灯籠が散見された。
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今回の旅ではベンチ入り状態だったFE 55mm F1.8 ZAに付け替えて撮影。撮影者である自分のフレーミング能力が無いせいもあり、どうにも持て余している55mmのfast lensだ。
たまに使うとその綺麗さにびっくりする。


高桐院の見どころの楓の庭。
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本堂の前庭となっており、一面の苔の上に数本の楓と、中央に灯籠が配置されている。
例によって季節的な問題から楓の葉は全て落ちてしまっている。
すこしわかりにくいが、灯籠の周りの細い枝の木が楓である。
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秋になると赤く染まった楓の葉が苔の上に落ち、それはもう美しい光景になるらしい…らしい…くそ…こんなんばっかだぞ今回の京都!
そのうち絶対に秋に写真撮りに来る。例えそこが戦場であってもだ。チャンスはあと50回くらいあるはず。
そんな想いを胸に高桐院を後にした。


時計を観ると13時を回っていた。昼食にはちょうどいい時間…というかむしろ遅いぐらいだ。
今日も今日とて歩きまわっているのでかなり腹が減っている。
こんな状態でまた30分ぐらい歩かなければならない…
というのも、実は今日は自分にしては珍しく食事処が決まっていたからだ。
「町家紅茶館 卯晴」という紅茶の店である。


何故紅茶かというと、ちょうど一年半ほど前ぐらいから好んで飲むようになったことに起因する。
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自分は珈琲を飲むと胃の調子がおかしくなる(挽きたての珈琲ほど腹に来る)体質だったので、
勉強するときの眠気覚ましなんかにはよく親がストックしていたティーバックの紅茶を適当に選んで飲んでいた。
そして社会人になって紅茶好きの同期に出会い、やれダージリンは紅茶のシャンパンだ、
フレーバードティーはハズレが多い、温度は云々かんぬん等々彼から色々な話を聞いているうちに、
自分はいつも飲んでいる紅茶に関して何も知らないことに気付いた。


そして試しに茶葉を買ってみて、自分で淹れて飲んでみたのが始まりだった。
おそらく自分で淹れたというプラシーボ効果もあったと思うが、予想以上に美味しかったのを覚えている。
気付けば意識して色んな茶葉を買って飲んだり、紅茶の専門店(所謂ティールームという紅茶を淹れて出す専門店)なんかにも足を運ぶようになっていた。
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色々飲んでみて、紅茶は茶葉や産地の種類、淹れ方に至るまで思った以上に味の違いがあることに気付く。
だからこそ美味しい!と思える一杯を探し当てることが出来たときの喜びはなかなかのものである。


…話が長くなってしまった。
要は、せっかく京都に来たのだから、京都の美味しい紅茶の店に行くしかないと思ったわけ。
先程も言ったように大徳寺から「町家紅茶館 卯晴」までは徒歩で向かう。
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3km弱、30分程度歩く。
見慣れた日本の住宅立ち並んだ路地の奥に「町家紅茶館 卯晴」は建っていた。
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「町家紅茶館」の名の通り、昔からある町家を改修したティールームだ。
あじき路地の時も感じたが、京町家は窓が小さく、中の様子が窺い知ることが難しい。
そんなせいもあり、周りの住宅と比べると一際異彩を放っているように見える。

風合いのある木目の壁に、さりげないカラフルな看板が目を引く。
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得体のしれない京町家にファンシーな看板と、何やら楽しそうな雰囲気、というか秘密基地感がすごい。


わくわくしながら中に入ると屋根裏部屋に案内された。
そう、屋根裏部屋である。屋根裏部屋なのだ。大事なことなので3回言いました。


屋根裏部屋の広さはかろうじて10人座れるかといったところだろうか。
アンティーク調の家具や、カラフルな雑貨が並ぶ。
木製の本棚には紅茶の本から絵本まで、知的好奇心をくすぐるような本がたくさん並んでいた。
屋根裏部屋には夢が詰まっている、まさにそれを体現したかのような空間だ。
こんな場所で飲む紅茶はどんな味がするだろう。


14時という昼食時でもおやつ時でもない微妙な時間帯ということもあり、客は自分を含めて3組しかいない。
若い女性2人組のグループは一言も会話せず手にとった本に集中し、カップルは世間話に花を咲かせていた。
そんなゆっくりと時間が流れるような素敵な空間に、突如出現するゴツいカメラバッグを持ったシャッター音を響かせる男。どう考えても場違いである。
(※店内撮影の許可は取っております)


窓から僅かに入る光で、屋根裏部屋はとても自然な明るさだ。
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一通りあたりを見回し、そろそろ注文するか~とメニューを手にとってパラパラめくっていると、このページで手が止まった。
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一日一食限定、不思議の国のアリスをモチーフにした茶器を使ったティーセット。
不思議の国のアリスと言えば、イギリス生まれの有名な児童小説…ということくらいは自分も知っていたが、
如何せん読んだことがなかったので内容を全く知らなかった。
なので、この可愛くまとまった茶器と、イギリスといえば紅茶!というイメージから、
アリスの作中に「お茶会」が出てくるとすれば、それはもう可愛くて優雅で洗練されたものだろうし、
世の不思議な国のアリスファンはそんな素敵な気分に浸りながらこのティーセットを楽しむのだろうなぁ…
と思っていたのだが、後で不思議の国のアリスを読んでみると、作中ではそんな考えとは百八十度違う、
とんでもないお茶会が繰り広げられていることを知った。


その名も、"A Mad Tea-Party"(気違いのお茶会)である。
不思議の国のアリス」の主人公であるアリスは不思議の国に迷い込み、そこで文字通り様々な不思議に出会う。
「気違いのお茶会」もその一つで、女王様の怒りを買い、「時間殺し」の罰を受けて6時をずっと指したままになった時計を持った帽子屋と、
三月うさぎ(三月は発情期なので一番気が狂っている)、そしてヤマネの1人と2匹が毎日延々とお茶会をやっている(6時はアフタヌーンティーの時間)ところにアリスが来る、というストーリー。
アリスに対して、席は沢山あるのに「席はないよ」と言ったり、「ワインはいかが?」とそこには存在しないものを勧めたり、
答えのないなぞなぞを出したりと、とにかく言っていることが支離滅裂、故に「気違い」というわけだ。


「気違いのお茶会」に限らず、「不思議の国のアリス」に出てくるキャラクターはどれも個性的というかどこかヘンテコでおかしく、
読んでいるだんだんと頭が痛くなってきて、一体これどうやって収拾つけるの…?と思って読み進めていると、なるほどそういうことね!という終わり方をする。
そのラストがこれまでのごちゃごちゃを洗い流すように綺麗にまとまっており、読後はとてもすっきりした気持ちになった。
気になって色々な考察を読んでいると、作者が意図したのかどうかはわからないが、
作中の支離滅裂な言動や気違いにも込められた意味があるということがわかった。
その多くは当時の社会風刺のようであり、作品の綺麗な結末と合わせると「大人になっても子供でいたときの純粋さを忘れないほしい」というメッセージを感じた。


結局のところ、小恥ずかしくて「アリスのお茶会セット」は注文しなかった(そもそも売り切れだろうけど)のだけど、
今度来たときは是非とも注文して純粋な気持ちで楽しみたいと思った。
あと屋根裏部屋にアリスという組み合わせは卑怯。


さて、どうもブログを書いていると何でもかんでも書きたくなって話が脱線してしまうが…
代わりに注文したのはビーフシチューのセット。紅茶館だがしっかりとしたランチもやっている。
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そして美味い。歩き疲れた身体に濃厚なビーフシチューがしみる。ご飯が進む進む。
付け合わせのサラダの葉っぱ(名称不明)は実にみずみずしく、そしてシャキシャキで気持ちが良い。あっこれいい素材使ってる!って感じ。
あっという間に平らげてしまった。


食後にはお待ちかねのアフターヌーンティセットを。
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スタンドに載ったお菓子と、ポットに入った紅茶のセット。
スタンドとポットは両方ともガラス製で、かつ気取り過ぎないファンシーなデザインでまとめられている。
円型の台座に規則的に規則的に並べられたお菓子たちは、それぞれ形や大きさがてんでバラバラで自己主張が強く、楽しい。
そしてスタンドの下に敷かれたマットやトレーも全部ひっくるめて店のカラフルな雰囲気と実にマッチしていて可愛らしい。


もちろん紅茶は好きな茶葉を選ぶことができる。屋根裏部屋には茶葉の入った小瓶が置いてあるので、オーダー前にそこで香りを試すことが可能。
今回はダージリンを注文した。といっても、いつも自分はダージリンを注文するのだけど。
ダージリンは紅茶のシャンパンと言われる茶葉で、マスカットのような香り(マスカテルフレーバー)が特徴。
このマスカテルフレーバーが強いものが上質とされており、特に夏に摘まれる葉(セカンドフラッシュ)が最も香りが強く高級品とされている。
この香りを口の中に広げながら甘いものを食べるのが好きで、紅茶の店に行ったときはだいたいいつもダージリンを注文する。


ガラス台のお菓子を手に取り、少しだけかじって味わう。
そして、口の中の甘味がなくならないうちに紅茶を口に含み、お菓子を溶かすように馴染ませる。
このとき、暖かな香りと共に甘さが口の中に広がっていく幸福感が堪らない。
所謂至福の時というやつである。
しかしそんな至福の時も長くは続かず。また一つ、一つとお菓子はなくなっていき、終いには何も乗ってないガラスの台のみが残された。
その虚しさは平日会社の昼休みの終了時刻が刻一刻と迫るあの感覚に似ている…


余韻に後をひかれつつも卯晴を出て、次に向かったのはMissliM Tea Place(ミスリム)というこれまた紅茶専門店。
いつものようにGoogle Mapにおまかせで最短ルートをひくと、京都御苑を貫くルートになった。
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京都御苑を通る頃には15:30を過ぎていた。12月末なので日が傾くのも早く、斜光が木々に長い影を作る。
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ところでこの京都御苑、めちゃくちゃ広い上に一面に砂利が敷き詰められておりとてつもなく歩きにくい。
スニーカーで来るところではなかったのでは…?外側回ったほうが良かったかな…


そんな京都御苑をなんとか抜け、トータルで30分少々歩いてミスリムに到着。
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白塗りの壁と不揃いの長方形の窓からはモダンな雰囲気を感じる。
ネットで京都の美味しい紅茶の店を探していたときに真っ先に出てきたのがミスリムだった。
ミスリムならとにかく美味しい紅茶が飲めるというクチコミ、そしてマスター自身の「紅茶を美味しくいれることには自信がある」という言葉(どこかのブログに書かれていたもので、本人が実際に仰ったかどうかは不明)に強く惹かれた。
普段自分が適当に淹れている紅茶とプロが淹れた紅茶は一体全体どれぐらい違うのか?それが気になって気になってもう行くしかないと思ったのだ。


おそるおそる店内に入ってみると、そこには白と紺の規則的なアーガイル模様が敷き詰められた床と、
外の壁と同じく真っ白な内装、そして濃い茶色の調度品が並べられていた。
店内でかかっている音楽は入口付近に置かれたレコードプレーヤーによるもの。
壁の棚にはレコードが沢山並んでいた。


そんな空間に目を惹かれつつ、「一人です」と告げると1階のカウンターに案内された。
建物は2階建てで、2階はちょうど1階を見下ろせる吹き抜けの構造になっている。
上から談笑する声が聴こえきたので、2階にも何組かいるのだろう。
1階の席数は少なく、フロアの広さもそこまでではないが、この吹き抜けのおかげで部屋の広さ以上のゆとりと開放感がある。
前述のとおり席数が少ないので一度に入れる人数も多くなく静かであり、実に居心地のいい空間だ。


ちなみにミスリムの中では一切写真を撮っていない。なんとなく写真を撮るのは無粋かな…と。
なので、内装について気になる方はこちらのブログを参照してほしい。
d.hatena.ne.jp
自分が案内されたのが1階ということもあり、2階からの景色を見れなかったのだけれど、
2階から1階を俯瞰したときの、焦茶色の柱によって切り取られたアーガイル模様の床や家具の並びは綺麗だ。
この柱の格子はまるでフォトフレームのようだなと思う。


さて、例によって注文はダージリン・セカンドフラッシュ
前述した、マスカテルフレーバーが最も色濃く出る夏摘みのダージリンだ。
カウンター越しにマスターの作業を見つつ、紅茶が出てくるのを待つ。


待っている間にも、自分より先に注文をしたお客さんのところに紅茶が運ばれていく。
そしてその度マスターがレコードプレーヤーのレコードを入れ替え、
流れ出す音楽が店内の雰囲気をガラッと変えていく。
お客さんの雰囲気や淹れた紅茶に合わせて曲を選んでいるのだろうか?
何にせよ心ゆくまで紅茶を楽しんで欲しいというマスターの心遣いやこだわりが感じられる。


10分くらい待ったところで窓際の席が一つ空いたので、移らせてもらえることになった。
それから目を閉じて待つこと20分(結構疲れていた)、ついにねんがんのダージリン・セカンドフラッシュと対面だ。
紅茶が到着した直後に席のちょうど真上の電気が点けられた。
自分が目を閉じていたのを察していたマスターの粋な計らいだろうか?


注文してから紅茶が出てくるまでにトータルで30分以上かかっている。
いくらなんでも時間がかかりすぎでは?と思うかもしれない。
自分が家で紅茶を入れるときは、まず電気ケトルで湯を沸かし、それをポットに注いで3分待つ…という手順なので、10分もかからない。
しかしその時間こそが「時間をかけてでも美味しい紅茶を味わって欲しい」というミスリムのこだわりなのかもしれない。
そして「待ち」によって生まれた「空腹は最大のスパイス」の効果により、身も心もも紅茶を味わう準備は万端というわけだ。


さて、肝心の味はどうだったのかというと…
冗談抜きで今まで飲んだ紅茶の中で一番美味しかった。
ティーカップに入れられた紅茶を口に含んだときの、口の中いっぱいに広がる香りは、
今まで感じたことのないような芳醇さだった。


本当に驚いた。淹れ方次第でここまで変わるのかと。
というのも、自分もミスリムで淹れられているダージリン・セカンドフラッシュと同程度の価格の茶葉を別のお店で購入し、
(ミスリム店内で淹れられる茶葉は購入することが可能であり、メニューで茶葉の値段を確認できる)
自宅でしばらく飲んでいたのだが、それよりも遥かに美味しかったからだ。
最も、電気ケトルで適当に沸かして時間も適当に計って淹れたものだったのだけど…
とにもかくにもミスリムで飲んだ紅茶の味は衝撃的で、この京都の旅の最も忘れられない出来事の一つになったと思っている。
京都に住んでいる人が本当にうらましい…


満足感に後をひかれつつも、ミスリムを後にして次の目的地へ向かう。
次の目的地は1日目にも訪れた花見小路通だ。
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1日目のブログを更新したのが数ヶ月前だったので覚えている人はいないと思うのだが、
そこで一つやり残したことがあったのだ。
それは数あるライカ(ドイツのカメラメーカー)のショップの中で「世界で最も美しい」と言われる「ライカ京都店」の撮影だ。

1日目に訪れたときはちょうど定休日であり、明かりの灯ってない店舗を外から観るだけという虚しいことをしただけだったが、今日は違う。
ネットの情報から営業中であることは確認済みだ。


現地に到着して営業中であることを確認。早速撮影に取り掛かる。煌々と灯るライカの文字。
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このブログにて外観を紹介するのは初めてだと思う。先ほど紹介した「町家紅茶館 卯晴」と同様に、古くからある京町家を改装したその店舗はとても美しい。
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年末ということもあり、観光客だけでなく買い物客などで混雑する花見小路の人通り・車通りは多く、シャッターを長く開けているとどうしてもその残滓が残ってしまう。
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そんな状況ではさすがに道路の真ん中に三脚を立てることは出来ず、かと言って反対側の路肩に立てることもできず(ライカ京都店とは反対側の路肩には別のお店が存在)
なかなか難易度の高いロケーションとなっていた(一体M氏はどうやってあんな綺麗な写真を撮ったのだろう…)。


そんなことを考えながらなるべく邪魔にならなさそうな道路の隅っこで構図を作っていると、怒声が聞こえた。
どうやら車に傷をつけたとかつけてないとかで揉めているらしい。
しかも運の悪いことに外国人観光客が日本人の車に何かをした、という状況のようだ。
まず外国人が何かをして、それに対して何の謝りもしなかったので、日本人が怒っている、そう捉えられた。
しかしお互いに全く言葉が通じず(英語圏じゃないみたい)、文化も違うのでやり取りが一向に進まない。
おそらく外国人も何故自分がいちゃもんをつけられているかわからないといったような塩梅だ。
日本人があまりにもしつこいので、挙句の果てに外国人が手を出してしまい、更にヒートアップ。
狭い小路に車がずっと停車しているので、後ろにどんどん車がたまってきている。
結局警察が出動し収拾をつけるという事態になっていた。
異文化コミュニケーションって大変だな…


ライカの前も立ち往生する車で完全に塞がれてしまい、こんな状況では全く写真が撮れない…やれやれまいったなということで、
外から撮影しているだけだったライカ京都店の店内を覗いてみることにした。
室内は和のテイストを散りばめつつ、ガラス張りのショーケースが並ぶ落ち着いた空間になっている。
さすがライカ、どれもお高い。しかしいつかは手にしてみたいと思わせる圧倒的な存在感。


2階では定期的に著名な撮影家の個展をやっているらしく、自分が行った時はちょうど日本のセイケトミオ氏がヴェネツィアに赴いた際に撮影したモノクロ写真がいくつも展示されていた。
ベンチに座り、飾られている情緒あふれる写真を眺めながらかつて自分がヴェネツィアに行ったときのことを考えていた。
ヴェネツィアに旅行にいったのは今からちょうど3年前の大学の卒業旅行だった。
その頃はまだカメラを始めたばかりで、ちょいと高めのコンデジを携帯し、師匠のアドバイスを元に思うがままにシャッターを切っていた。
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自分にとってカメラを持って旅行の楽しさに目覚めた旅だったと思う。
あの頃は構図や露出なんてあまり考えずに撮っていたわけだけど、色々な撮り方を知った今、ヴェネツィアに行ったら一体どんな写真が撮れるだろう?とか考える。


そんなことをして時間を潰していると外が静かになってきた。
そろそろ良いかな?と思って外に出ると人も車も大分少なくなっていた。
今がチャンス!とすぐに撮影の準備をして、シャッターを切る。
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16-35mmF4だとシャッタースピードを長くしなければならず、ゴーストが写ってしまうということで、55mmF18に変更して短期決戦。
画角は狭いものの、そこそこ綺麗に撮れたか…?


ひとまずこれで満足したことにして(というか、かれこれ2時間くらい外にいるので寒さを我慢できなくなってきて)、帰路についた。
今日も今日とて疲れ果て、夕飯はコンビニ飯()で。
そして帰り際に京都タワーを一枚。
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1日目の夜に撮った京都タワーの写真はどうも味気なかったので、手前にイルミネーションを入れ、ぼかし気味に撮影。
こうすると電飾一つ一つが光の玉にみたいになる。
理想としてはもう少し大きい玉になって欲しかったが…これはこれでいいか。


さて、最終日である3日目は今回の旅の最大の目的である嵐山に向かう。
嵐山といえば竹林で有名な京都の有名な観光スポットだ。
早朝に行かなければ間違いなく自分が撮りたい写真は撮れないと思っていたので、その日は写真の編集やSNSへの投稿もそこそこに、早めに布団に入ることにした。
願わくば後悔なく旅を締めくくることを祈って。


part4に続く。「待て、しかして希望せよ!」