水野学 著「センスは知識からはじまる」を読んでみた その①
センスという言葉を使うとき、僕はものすごくセンシティヴになります。言い換えれば、気を揉まれると言えばいいか。
僕が「センス」という言葉に対して抱くイメージ
この「センス」という言葉は「センスがある」みたいな使われ方をよくしますよね。
例えば、「君はファッションのセンスがある」だとか「センスのいいプレゼントをありがとう」みたいに、 「何かを選別することに対する力の高さ」をうまい具合に包括する言葉として使われているように思えます。
一見プラスに見えるこの言葉は確かにプラスなのですが、一方で僕はこんなイメージを抱いてきました。
センスとは、生まれ持ったものであると。
圧倒的なセンスに押しつぶされそうになる世界
インターネットが発達し、SNSが生まれ、クリエイター達がより簡単に自分の作品を世に伝えることができる世界になりました。
日々ものすごい勢いでコンテンツが消費されていくのを感じています。
そんな中、僕も自分自身の個としての存在意義を確立させるべく自分の写真をアップし続けてきました。
それ続けていくうちに漠然と感じていて、やがて確信に変わっていったことがあります。
それは勘違いかもしれないが信じればそこにあるもの。
それは幽霊のような思い込みのようなもの。
それは自分の中にしかないのかもしれないが、どうやら自分以外の他人の中にもあるもの。
それは「圧倒的に強い『センスのある』人が勝つ」という真実です。
世界には、素晴らしい作品を撮り続ける人が沢山います。
インターネットはそんなすごい人達と僕との間の距離をたいへん短くしたこともあり、日々そんな方々の写真が沢山僕の前に流れてきます。
そんな作品を目にしたときの第一印象は、とにかく「すごい」。 そして次に思うのは、「自分にはこんな写真撮れない」という悔しさや情けなさ。
自分には「センスがない」から撮ることができない。生まれ持ったセンスがないから。
そう考えこんで、圧倒的なセンスに潰されそうになる毎日を送っていました。
正直、この記事を書くこと自体がもう恥ずかしく筆を置きたいぐらいです。
そんな気持ちで日々写真を撮っています。
ただ押し潰されるだけではいられない
そんな中少しでも抗いたいと思っていました。 何でもいいから、自分の生きた残滓を…と。
そこで始めたのが、素晴らしい写真家たちが撮影した写真を観て分析するということ。
とにかく自分にはセンスも知識もなにもないと思っていたので、世にあふれる素晴らしい写真たちからその『技』を学ぶしかないと思いました。
自分が写真を始めたキッカケは、ロードバイクを譲ってくれた方が自転車旅行の過程で撮られた写真がとても素晴らしかったから。
思えば最初はその方が自転車で行かれた場所に行き、似たような写真を撮ることから僕の写真人生は始まりました。
つまり模倣から始まったということになります。
素晴らしい写真も分析してみると、経験則に基づく特殊なタイミングを覗いては基本的な要素の組み合わせであることが多いように思えてきました。
であれば模倣を組み合わせることでオリジナリティを出し、少しでもセンスの重力に打ち勝てるのでは…と。
そこである一冊の本に出会う
そんな記事を書いた矢先、会社の元同期であるchaspy君に勧められたのがこの本、『センスは知識から始まる』という本です。
- 作者: 水野学
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2014/04/18
- メディア: 単行本
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この本の帯には、これまで自分を考えてきたことを覆すような衝撃的なことが書いてありました。
”センス”とは、特別な人に備わった才能ではない。それは、さまざまな知識を蓄積することにより「物事を最適化する能力」であり、誰もが等しく持っている。
センスはその人が持って生まれたものではなく、知識の蓄積により身につくものであると。
この知識の蓄積というのは、今自分が実践している「写真の分析」につながるところがあるのではないかと思いました。
であればこそ、その真偽を確かめるために。そして自分はセンスを身に付け得るのかを確かめるためにこの本を手にとったのでした。
ほんとうの「好き」にはかなわない
ここまでの文章を読んで、「人からどう思われたって自分が楽しければそれでいいじゃない」と思った人もいると思います。
その人は、僕が欲して止まない性質を持っていると思います。 ある意味これもセンスと言えるのかもしれませんが、それは
ほんとうの「好き」
です。
例えばある作品がとても好きだからその二次創作を作る方々。
その方々は、もちろん自分自身が評価されたいから作るという側面もあると思いますが、 きっとその作品とキャラクター達が本当に好きだからこそその世界に対する想いを表現してみたくなるというのが大きいのではないでしょうか。
つまり愛です。ほんとうの「好き」ってやつです。
ほんとうの「好き」が生む作品は、ただただ美しい。
なんて眩しいんだろう、ほんとうの「好き」ってやつは…
例えばカメラマンだとしたら、被写体に対する「愛」がそれに値するのではないでしょうか。
僕にもそれはありますが、多分いまは上手くなっていろんな人に好きだと言ってもらいたいと思っています。 それは『ほんとうの「好き」』と比較するとなんとも自分中心の考え方なのです。とても滑稽です。
でもそれが今やりたいことなんですよね。
果たしてこんな考えで人の心に響く写真は撮れるのでしょうか。
この本が道標になるとよいのですが。。続きます。